ホストクラブの2泊3日の旅行の後に3ヶ月の刑務所生活のおまけがついた話
僕が新宿の歌舞伎町のホストが15人ぐらいの小箱の店にいた時の経験談です。
その店は生バンドの歌と演奏がありもう一つはギターの弾き語りと交互に演奏が繰り返すお店でした。
ちなみに大箱はホストが50人から100人がいて生バンドが2組入って交互に演奏を繰り返す感じでした。
浅草にあったホストクラブはさらに150人くらいの大規模なお店もあり週に一回はホスト全員が白いスーツ着用なんて華やかな日もありました。
僕は新宿にいたのが一番長かったですが、最初の若い頃は、浅草 小岩 新小岩 錦糸町の店に勤めたり、一時は埼玉の西川口のホストクラブなど10件ぐらいで働いていました。
新宿の小箱の店は、年に一回 韓国やフィリピンに社員旅行があったのですが、僕が初めてフィリピン旅行に行った時の話です。
旅行を思う存分に楽しんだ帰りにホストの上司から大麻を靴下の中に入れて持ってくるのを頼まれたのですが、それが羽田空港の税関で見つかってしまい そのまま、都内の警察の留置所に連れて行かれました。
僕が20歳位だったと思います。留置所の中で5~6人の囚人と一緒でした。トイレは白い和風の便器があり丸見え状態です。トイレ掃除は皆が順番で雑巾を持ち手洗いでした。
食事は朝は食パンにハムか玉子を挟んだ簡単なサンドウィッチで夜は白いご飯におかずは黄色いタクワンが2切れ入っただけでした。
大麻を海外から持ち帰ったので密輸という事で僕は接見禁止でした。だから親にも連絡が取れず 僕は両親から行方不明になったと思われていました。
留置所で仲良くなった人が先に保釈されるので、僕は当時 付き合っていた彼女の電話番号を暗記してもらい僕が警察に逮捕された事を電話するようにお願いしました。
その彼女が僕の両親に電話して僕の居場所がわかったみたいです。
その後は、留置所から東京拘置所(小菅刑務所)に回されるのですが、ここでは、入所する時に服を全部脱いで、身体をチェックされるのです。
「玉あり 玉なし」と言葉が聞こえます。
これの説明なんですが、なかには全身が入墨のヤクザもいます。
彼らのなかには、女性を喜ばせる為におチンチンの竿の元に丸い真珠の玉や歯ブラシの柄を歯磨き粉でみがいて丸くした玉を入れているんです。
逮捕されているヒマな時間に誰かに頼んで割り箸で突いて入れて貰う人もいるんですけど、それはしてはいけない行為なんですね。
僕はそんな痛い思いまでして女性を喜ばせたくないですからしませんが、それを調べるのです。
そのあと、我々は名前で呼ばれなくなり囚人番号で呼ばれます。だいたい5桁か6桁だったと思います。
「お前達 ここに一歩入った以上は人間とは思うな」って言っていたと思います。拘置所でこれから裁判で懲役になるか、執行猶予で保釈になるかが決まります。
それまで拘置所のなかで豚を飼ってその肉から作ったトンカツなど意外とボリュームのある食事がありました。それとお菓子の差し入れがあり部屋の皆と分け合って食べていました。
しかし男同士はそうでしたが、女性の部屋は意外と自分の物は自分の物とシビアだと聞きました。
最初に囚人室に入れられた時に2人の嫌な奴らがいて僕の目の前で自分の金たまをブラブラさせて嫌がらせをしてきました。
僕は頭にきてブザーを鳴らして看守を呼びました。この部屋は嫌だから独居房にしてくれと言いました。
看守さんはわかっていたらしく その嫌がらせした2人を他の部屋へ連れ出してくれました。
それから気のあう5~6人で楽しく過しました。
これは自己啓発のブログですからたとえどんな場所でも楽しくして生きるのが基本です。
そしてFさんと言っておきましょう。 その人は地方から覚せい剤を5キロぐらいを東京で売りさばく為に見つかって逮捕され時価数千万円 数千人の中毒患者の元を持って捕まったとんでもない人なんですが、
な な なんと 当時 ビートルズのポールマッカートニーが大麻を密輸して羽田空港で捕まり強制送還された時に同じ留置場の部屋にいて仲良くなった人らしく、ポールは風呂に入るとおどけて泳いだり、留置場の床を両手で叩きながらリズムを取りビートルズの全曲を唄う幻のコンサートをやったらしいです。
房の外で看守達は唖然として拍手をして見ていたそうです。
その後にワイドショーで3時のあなたって番組に出演した時に「F お前が出所したら 連絡をよこせ プライベートジェットで向かい行く」って言っているほど仲良くなったみたいです。
裁判では懲役にはならずに執行猶予で保釈されました。
人間関係やその時の環境でいろいろな事が起こってしまいます。
もちろん僕が若くて精神が未熟だったので起こした問題でしたが、今となってはなかなかできない貴重な体験ができたと思います。