今だから言える野球部の話
僕は野球がやりたくて都内で全国大会で優勝した高校に入学して野球をやる事になるのですが、先輩のしごきやいじめにあうことになるのです。
僕の1学年上の先輩は全国大会で優勝した次の年だったのでピッチャー候補で30人くらいたらしく僕達一年生の倍くらいの大人数でしたので大変でした。
厳しかったのは、あいさつでした。野球部の先輩をみるとすぐに大きな声で「チワ」とあいさつをしてお辞儀をします。もし先輩がいるのに気がつかないであいさつをしないと大変です。
あとで呼び出されて殴られます。だから坊主頭をみたら、すぐに大きな声であいさつをしました。水泳部も坊主頭だったので、関係なくあいさつをしました。
入学してすぐなんて、誰が野球部で誰が水泳部なんてわかりませんから、朝に通学する時に坊主頭を見たら電車の中でもあいさつ、前に坊主頭をみたら走っていって、追い抜いて、先輩の前で大きな声で「チワ」と頭をさげます。
それと先輩の身の回りのお世話をするのです。部室の中の先輩の脱いだユニフォームやストッキングをきれいにたたんでおくのと、汚れたスパイクの泥を取りそのあと靴墨やクリームを塗ってきれいにします。
入部すると先輩の誰のお世話するのか各自が担当が決められます。なんせ先輩の人数が多いのでひとりで2〜3人の先輩のお世話をしました。
野球部と暴走族にも席をおいている怖い先輩の係になるともっと大変で、通学の革靴まで、きれいに磨かされて、その靴を先輩がじ〜っと見て光ってないとやり直しをさせられた部員もいました。
部室の中に呼び出され殴られるのを、「集合」と言いました。僕達一年生は練習が終わるとリヤカーにボールやバットやヘルメットやキャチャーの使うマスクやレガースを積んで部室まで、運びます。
誰かが「今日 集合があるらしいよ」と言うと皆の顔色が変わります。全ての片付けが終わって、部室の中に呼ばれるのですが、皆がもじもじします。
だって一番最初に部室に入ると一番奥ですから 余分に殴られたり蹴られたりするのです。
それでも、仕方なく誰かしら入っていきました。先輩達は部室の長椅子の上に立っています。
今日の練習で誰と誰がたるんでいたと名指しで名前を呼ばれます。
ボールの数が足りないとボール係とか野球部で使う道具にも係が振り分けられているのできちんと管理してないとその事でも文句を言われます。
そしてピンタかボディーにパンチを入れられます。
それといじめです。先輩の遊び道具にされるのです。僕は公園の木に縛られたりした事がありました。
学校にはプールの高い飛び込み台があるのですが、ある夏の夕方にユニフォーム姿でカエルのようなかっこうで足から落ちていく、同学年の友達が見えました。
それと先輩に頭をバリカンで刈られている友達がいたのでやさしいのかなぁと思いきや なんと頭の中央だけ長いままにされてモヒカン刈りにされているではないですか それでその頭で校内を一周まわってこいと命令をされます。
そうすればきれいに刈ってもらえます。僕達の学校は男子部と女子部がありますので、当然 校内には女子もいるんですよ。とても恥ずかしかったのではないかと思います。
でも良い事もありまた。僕達の高校にも不良もいました。ある時に2人の不良の1人が僕をみて 「なんだぁ あいつは」と言っているのが聞こえました。するともう1人が「だめ だめ 彼は野球部だから」と言うのが聞こえました。
僕に指一本でも触れたら野球部員70人が黙ってないですから、先輩の後輩のいじめはありましたが団結力は凄いものがあったと思います。
これからが今だから言える話なんですが 僕達 野球部員は3年生の九州の修学旅行は甲子園を目指しての練習の為に行けなかったんです。
だから最後の夏の大会に負けて何も無くなった時に野球部員だけの熱海の温泉旅行がありました。
その時の宴会の席で1学年上の先輩達がきてくれて目の前に座り僕達にがんがんビールをついでくれて、「良く頑張ったな」とほめてくれました。
ステージに上がって、その時代はカラオケなんてまだなかったですから、先輩で矢沢永吉のファンキーモンキーベイビーをホウキをギターがわりに持っておどりながら歌い 同学年の友達が渥美清の男はつらいよの歌を仁義をきりながらセリフ入りで歌いました。
僕達の何人かは先輩にがんがんビールを注がれて酔っ払って吐いた者もいました。
宴会が終わり部屋に戻って布団の中で横になっていると 先輩が部屋に入ってきて「今から出かけるぞ」「え! どこへですか?」「決まってるじゃないか ストリップだ」という話し声が僕の耳に聞こえました。
僕はこんなところで寝ているばあいではないと思い飛び起きました。
そして先輩に「まって下さい。まって下さい。今からコンタクトレンズを入れますから、少しだけ」と言い待ってもらいでかけました。
ストリップ劇場では1人の女の人のオッパイは見えましたが、もう1人はオッパイも見せないし、もしかして男だったかもしれないです。
そんなこんなで、僕は金属バットの素振りから自分のバットの素振りに人生が変わっていくのです。
今までの野球に費やしたエネルギーが女性に向うのですから凄まじいと思います。
昭和の歌謡曲で「いい日 朝立ち(旅たち)」という歌があったと思うのですが、男性の元気のバロメーターですよね。ともかく男は中心が元気でないとだめですね。
高校一年生の時の辛い思いでは 今ではなつかしい想い出です。
あの辛さを我慢できたので 今では何でも乗り越えられると思いました。
ともかく健康で元気がないと スケベにもなれないし恋愛もできません。
愛があるから頑張れるのです。もう年だからとか、恋愛は面倒くさいなんて寂しい言葉ですよね。
原始時代だったなら男は女性にモテる為に狩りに出かけて食べ物を持ち帰りました。
ネズミを一ぴきだけ捕まえて帰る男よりマンモスを捕まえて帰る強い男を女性は選ぶと思いますし、
女性ならば
白馬に乗った王子様を待っているのではなくて、白馬から落馬した王子様を救ってあげるパワーが愛のチカラだと思います。
これからの人生を楽しむ為にも愛を持ち続けていたいですね。