高校生の頃に 野球部にいた話
僕は野球がやりたくて、数年前に全国優勝した都内の高校に入学しました。
1学年上の先輩は、優勝した次の年だったので、ピッチャー候補だけで30人いたみたいです。野球部員は全部で70人位だったと思います。
その頃は水を飲むと ばてるから水は飲むなという時代です。今では考えられないですよね。
時代によって健康に対する考え方も変わってきていると思います。
監督は日大を7連勝か8連勝させた名物のおじいちゃん監督でした。
ちょうどその年から金属バットが始まった時代で木のバットや竹バットもあり、それを使うとバットの芯を外すと手がしびれる事がありました。
同学年の野球部員は身長が180センチ体重が70から80キロある大柄の高校生もいたし調布リトルリーグ出身の野球センスの抜群の高校生もいました。
そんな中 僕は168センチ58キロとこがらで中学の野球部の監督がノックで空振りをするぐらいのへたなところ出身ですので、最初から差がありましたが、僕は根性だけは負けていませんでしたから、毎日重りの入った運動靴をはき 重りの入ったバットで素振りをしていました。
ある時に監督が僕の血豆だらけの手を見て、野球部員全員を呼び 僕の両手を開かせて皆に見せた事がありました。
「うぉー亅と感嘆の声があがった 思い出もありました。
結局 最終的には高校3年の夏の大会はベンチ入りして、代打の切り札だった僕はその年に全国大会で優勝した桜美林高校のピッチャーに三振をしてしまい 僕の野球部の青春時代の 幕は閉じました。
野球部だけの最後の旅行があったのですが、その時に一緒に行ったコーチの先生から僕の最後の打席の空振りの三振をほめられたのは嬉しかったです。
健康についてですが、僕は若い頃から身体を動かすのが好きでしたし、今でも社交ダンスで身体を動かしています。
ダンスは健康のために一生続けると思います。
あなたが運動をされてないのであれば、なにか身体を動かすことを習慣にされればと思います。
牛乳を飲んでる人より牛乳を配ってる人のほうが元気です。(笑)