ホストクラブに初めて面接に行った話
僕はソープランドのお姉さんから「あなた ホストでもやったら亅の一言で やってみようかなぁと思ったのですが 厳密に言うと 昭和でしたからソープランドではなく トルコ風呂のトルコ嬢のお姉さんなんですね。
1984年にトルコの青年が「愛する祖国の名前がいかがわしい風呂屋の名前になっている」と抗議をして それを受けて政府がソープランドと名前を変えたみたいです。
トルコ嬢のお姉さんは、お客さんから いくらお願いされても絶対にしないサービスがあったのです。
それはキスです。
首から下は許しても、キスは愛する旦那か彼氏のものというプライドを持って仕事をしていました。
当時はタバコを吸っている人がほとんどでしたから、トルコ嬢のお姉さんは自分のタバコに火をつけて それをお客さんに渡していました。
いわゆる間接的なキスのサービスです。
話は本題に入ります。
ホストクラブの面接と言ってもホストクラブのお店がどこにあるのかわかりませんし、まさかそれだけの為にトルコ嬢のお姉さんのとこに行くわけもいきませんでしたから、当時はインターネットなんてなかったですから、スポーツ新聞の募集欄を見て面接にいく事にしました。
新宿の2丁目のあたりで面接をしてほしいと電話をしました。
すると白いスーツを着た男の人が僕の近くまでくるとそのまま一言も喋らず背中を向けて歩きだしまた。
僕はついていく事にしました。狭い階段の2階に上がるとカウンターとテーブルが2つくらいあったと思います。
加山雄三さんの若い頃みたいなマスターだったと思います。
お客さんが男性だろうが女性だろうが指名されたらついていくことが条件でした。
僕は「?」と思いましたが、とりあえずその日はカウンターの中にいる事にしました。
お客さんに指名される事はなかったですが、これは違うなぁと思いその後いきませんでしたが、新宿2丁目のオカマバーに行ってしまったようです。
テレビの水戸黄門は長いあいだ続いていましたが、僕の黄門様は、そこで指名されていたら、すぐに終了していたと思います。
スポーツ新聞はやばいので読売新聞の募集欄でホストクラブ新規オープンを見て面接に行って仕事をする事になるのですが、それは後日に書きたいと思います。
昭和のトルコ嬢のお姉さんの仕事に対するプライド(キスは愛してる男のもの)は大事かもしれませんね。