ホストクラブに読売新聞の募集を見て面接に行った話
当時はインターネットがなく固定電話の時代ですから仕事探しは新聞の募集を見て行くしかなかったです。
スポーツ新聞の募集で間違ってオカマバーに面接に行ってしまったので、今回はきちんとしたお店に勤めようと、読売新聞の新規オープンのホストクラブに面接に行きました。
そこにはすでにお客さんを持っているホストの先輩達が、店を盛り上げていました。
僕は新人ホストなので店の開店前にトイレ掃除や床を掃除機をかけたりして、お店の開店までの準備をしていました。
バリッとしたオーダーのスーツとワイシャツとブランド物のネクタイで先輩のホストの人達は女性のお客さんと腕を組みながら同伴でお店に入ってきました。
僕はそれを見て(カッコいいなぁ俺もああなりたいなぁと思いました) 僕達 何人かの新人ホストは「いらっしゃいませ!」と頭を下げて出迎えました。
先輩のホストの人達にも「おはようございます!」と挨拶をして気にいってもらいヘルプ(指名しているお客さんを盛り上げる仕事)に呼んでもらえるように自分の顔を売り込みました。
一日の保証が2000円でしたから 1ヶ月休みがなく働いても6万円なので、独りぐらしでは生活できないので、最初の頃は実家の東村山市から電車で新宿の店まで通っていました。
僕が華やか世界に憧れたのは、父親の血を引いているかも知れません。親父は栃木県の佐野市で木工所を経営している6人兄弟の長男で生まれました。
そこで僕の母親とお見合い結婚で結ばれて僕が産まれたのですが、汚れる木工所の後を継がず。東京に家族とでてきてしまいました。スーツを着た仕事がしたくて、デパートの家具売り場のマネキンの仕事をしていました。
家には母親は使わない親父専用の3面鏡がありネクタイも100本以上あったかと思います。僕は
そんな女好き 酒好き 派手好きな父親と地味で真面目な母親の両方の性格を受け継いだと思います。
ホストクラブの話に戻りますが、当時のナンバー1のホストの人がステージで生バンドをバックに敏いとうとハッピーアンドブルーの「星降る街角」を歌ってホストとお客さんが何組かジルバを踊っていました。
僕は立ちながらぼーっと(いいなぁ〜)と思ってながめていました。
ともかく、指名のお客さんをつかんで売り上げをあげないと、ずっとトイレ掃除と店の掃除とごみ捨て専門で終わってしまうので頑張ろと思いました。
その店では、僕は芽が出ず辞めてしまうのですが、どうしてもホストになりたいという強い思いがあり、新宿のキャバレーのボーイをしてそこのホステスの一人にコースターの裏に僕の電話番号を書いて渡してその女性と同棲してから、ホストクラブの仕事を再開してから成功にむかいます。
今回はホストクラブの話ですが、あなたがもしもどうしてもやりたい仕事かなりたい自分があるならば、どんな手段を使っても諦めなければできると思います。
強い執念と覚悟があれば大丈夫です。
七転び八起きというダルマさんのことわざもあります。